【書評19】「言葉・狂気・エロス」丸山圭三郎|プロ、アマなんて人間の言葉遊び
1.世界では境界がなくなってきている
音楽の世界を例にしましょう。過去のバンド、音楽家はコンテストやオーディションを受けるか、音楽学校に通うなど、いわゆる「プロ、人気者」になるにはこれらを経てからでなければいけませんでした。
しかし、YouTubeから人気を獲得したり、アマのままのバンドに人気が出るいわゆる「インディーズ・ブーム」など、プロとアマの境界ははっきりしなくなってきた。また、演奏や歌がそれほどうまくなくとも、人気者になれる例もいくらでもある。
地球のグローバル、ユニセックス、などなど区別や境界といったものが取り除かれ始めた言葉が目立ってきている。
2.人は〈気分〉を消費する
人間とは奇妙なくらい精神に支配されている動物である。ヒトが消費するものは、食品や衣類といった生命活動や生活に必要なものだけではない。
愛煙家は、ニコチンを摂取するよりも煙が出るタバコを選び、「タバコを吸っている気分」を味わいたいと考えている。
遠くから時間と移動費をかけてセールに出かけ、必要以上の買い物をして「特をした気分」を買っている。
人間は、生命の維持のために必要なものだけでなく、そのこと自体に目的を持つ消費を行う生き物であり、文化をもつ。葬儀や祭典、遊戯など、「行為的消費」を楽しむ。
3、あいまいさを受け入れること
よく批判されているものだが、国語の教科というものは人の創造性を壊すものだ。大学入試の試験に自分の書いた小説が使われ、試しに本人が解いてみると正解できないなどという話はよく聞く。
本人の想像を養い、無限の楽しみを秘めているものを、こうだと決めつけて解釈する。決めつけないと気が済まない、いけないことのような排除されるべき考え方だ。
そもそも物事(言葉や考え方)などは、Aか非Aか、無しか全てか、良いか悪いかというふうに抑えられるものではないし、抑えるべきでもない。その境界線であるsomethingを切り捨ててはいけない。対立する2つだけでは割り切れない、常に躍動する生命なのである。
本書はこのように言語や文化からはじまり、芸術、エロ・グロ・ナンセンスなどから無意識に対してアプローチしている。総合的な学習書のようで非常に勉強になる。
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