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最も古くからあるアルコール飲料!?ワインの歴史に迫る

 

 

 

ワインが今のように多くの人に愛され、飲まれるようになるまでには長い歴史があります。要点ごとにまとめたのでそれぞれ見ていきましょう。

 

 

 

1、メソポタミアの時代から

文献上で一番最初にワインが登場するのは、紀元前2500年ごろに書かれた『ギルガメシュ叙事詩(古代バビロニアの王をたたえた文学的作品)』だと思われます。

また、エジプトのピラミッドの壁画にも、ブドウの栽培の様子などが書かれています。

ギルガメシュ叙事詩』では、古代民族のシュメール人たちが、

ユーフラテス川のほとりでワインを作っていたことが明らかになっているのです。

 

 

 

2、ローマ帝国の拡大とキリスト教の普及

最初は、神事などの宗教を目的として飲まれていましたが、ブドウ栽培やワイン醸造の技術がフェニキア人たちによって地中海を渡ると、ギリシャ、ローマ、フランスでも広まり、庶民にも飲まれるようになりました。

特にフランスでは、ローマ帝国の領土拡大とともに広まっていきます。現在世界的な名城地のボルドー、ローヌ、ロワーヌなどは、紀元前からローマ人によってワイン造りが行われていました。

また、「パンはわが肉、ワインはわが血」というキリスト教の布教と結びつきながら、醸造技術や飲用がヨーロッパ各地へ広がっていきました。

 

 

 

3、貴族の保護下で品質向上

なんと中世では、フランス、ドイツにて今以上の栽培地が広がっていたといわれます。

これはブドウの栽培、ワインの醸造が僧院の仕事となり、王侯貴族たちがこれを手厚く保護、ワインの品質向上にも正統的に、前向きな姿勢で取り組まれていたためです。

 

 

 

4、「肉は赤、魚は白」は18世紀から

18世紀は美食の時代でした。ルイ15世のもと、料理技術が発達し、上流階級の間で美食文化が高まりました。「肉料理には赤ワイン、魚料理には白ワインという」公式があらわれたのもこの時代で、ワインと食事が結びつくようになりました。

しかし、フランス革命で上流貴族が衰退すると、召し使えられていた料理人たちは路頭に迷うことになりました。そこで、彼らは町にレストランを開き、ここでさらに料理とワインが強く結びつけられました。

 

 

 

5、植民地獲得競争でニュワールドにワインが

17~18世紀は、ヨーロッパの列強が植民地獲得競争に走った時代でした。

その際、植民地にブドウの苗木も移植されました。もともとブドウ栽培に適した気候であったアメリカ、チリ、オーストラリア、アルゼンチンなどニューワールドといわれる地域では、その後もワイン造りが発展していきました。

 

 

 

6、日本への伝来は?

ワイン醸造、ブドウ栽培の技術は、シルクロードを通り中国に伝わりました。

そして、ブドウは室町から戦国時代に日本にも上陸しました。南蛮貿易で輸入されたワインが一ぼの人々に飲まれていましたが、明治十年ごろには、山梨でワイン造りがはじまりました。その後は、新潟、長野、北海道などでも試され、今日の形に至っています。

 

 

 

このような経緯があって今のワインは成り立っていたのですね。昔は宗教や貴族に保護されたのが強かったようです。今現在でも、世界中の醸造家たちが全力でワインを作っています。そういった意味でワインの歴史は続いているし、これからも進化していくのでしょう。