【書評16】『解剖学教室へようこそ』養老孟司|名前を付ける=ものが切れる
「ことばというレッテル」を貼り付ける
モノには、名前がついている。木は木。イヌはイヌ。家は家。誰が決めたかは分からないが、ともかく誰かが、こういう名前を付けた。
人は、ことばを使うようになってから、ありとあらゆるものに名前を付けまくった。つけないと、不便だからか、安心できるからか。いや、つけなくてもいいようなものにまで、名前はついている。
月、宇宙、暗黒物質、などなど、このように世界中全てのものに、その正体がたとえ不明でも、ともかく名前を付けていった。内容や中身、実態はともかく、夜空で光っている、星よりも大きいアレ、あれは月。
こういうふうに、なんにでもことばというレッテルを貼ってしまう。こうすれば、世界をことばにすることができる。こうして、人は世界をことばで表す。
ことばを使う=モノをバラバラにする
それでは、名前を付けるとはどういうことだろう。それは、意外かもしれないが、モノを「切る事」である。どういうことだろう。例えば、「頭」という名前を付ける。頭という名前を付けると、「頭でないところ」ができてしまう。
それらの境目はどこか。「頭」という名前を付けると、そこで「境」ができてしまうのである。「境ができる」ということは、いままで切れていなかったものが切れる、ということである。
国境で考えてみる。地面はずっと続いているのに、「中国」と「インド」という国ができると、「境」つまり国境ができる。つながっていたはずの地面が切れてしまった。
からだも国も、もともと自然につながっている。それを切ってしまうのはだれか、「ことば」である。名前である。ことばができると、つながっているものが切れてしまう。ことばには、そういう性質がある。
頭の中で考えたことは、外で実現される
こういったことが、解剖の始まりだ。なぜならことばの中、頭の中でまず切れてしまうから、実際に切ることになる。頭の中で「切れる」のと、実際に切るのとは違うと思うだろうか。いや、そうではない。
飛行機というものができたおかげで、飛行機を考え付いたのではない。設計図や燃料、物理など頭の中で考えなければならない。体の中に、胃という臓器があるはずだ、あるいは胃という名前の臓器にしよう。こうすることで数ある臓器の中で「胃」が切り分けられ、観察しよう、調べようということになる。
人間の性質としてのことば
赤ん坊は、生まれて間もなくは混沌とした、カオスの世界を生きている。モノも人も境のない。ただ、言語を学習していく。ママ、パパ、ミルク。そうすることで、カオスの中に認識できる物質が生まれる。
そうやって、認識する対象が増えていく。ことばとはとにかく面白い。人間が進化の頂点にいられる理由は間違いなくことばがあるからだ。生物が、モノを構成するミクロな物体が、細胞、素粒子が、生存に有利な生物を作り上げようと努力してきた末に生まれた「ことば」。
ズレてしまったが、とにかく今回のまとめは二つ。ことばには、モノを切る性質がある。人間は、頭の中で考えたことを、外に実現する癖がある。ということだ。これを認識することで、解剖の始まりが分かる。
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