汲めども尽きぬ知恵の泉

「武器はこの身ひとつ」を目指して

日記③本の選び方がまた一つ増える|村上春樹「ノルウェイの森」より

 

自分はいままで本を選ぶ基準なんて考えてこなかったし、そんなこと思いつきもしなかった。本屋を適当にぷらぷら歩いてきめる、小説の中に出てきた、あるいは人に紹介されたなどといった方法で、次読む本というものを決定してきた気がする。

 

村上春樹ノルウェイの森を読んで、本の選び方というもので興味深い考え方をする人物がいた。

東大法学部で、官僚の試験に合格という設定の「永沢」という人物で、本に関しての彼なりの哲学を主人公に話す場面があるが、次のように言う。

 

現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い。」

 

死後三十年を経ていない作家の本は原則として手に取ろうとはず、そういう本しか信用していないらしい。また、永沢はこう続ける。

 

「他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。なあ知ってるか、ワタナベ(主人公の名前)?この寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ。」

 

言い過ぎの部分や偏見を別として、確かに30年も読まれ続け、現代に残っている本なら、まず間違いなく読む価値はある。今出てきたばかりの本は、ある程度話題になって、たくさんの人に読まれようが、本当に良いものでなければ将来忘れ去られてしまうと思う。

 

本は、長い長い年月の中で、人々に触れられ、取捨選択され続ける。良い本は時代を超えて感動をもたらしたり、あるいは価値を見出した人がその本を残そうと努力する。そうでない本は、時とともに飽きられたり忘れられたりで時代に埋もれていく。

 

「時の洗礼」というのはまさにぴったりの表現だなと思った。

永沢は、古典をよく読むという設定もあるが、それも納得できる。古典というのは何年も前に世に出され、今も残り続けていて、それはそれだけの価値があるものだからだ。

 

 

音楽に限らず、クラシックや絵画など、音楽や芸術にも同じことが言えて、やはり価値があるからこそ時間に飲み込まれずに今に残り続けてるんだなあと思った。

 

現代でもよいものはたくさんあるのは間違いないし、またそんなふうに読書を狭くしてしまうのはちょっとつまらないなと感じてしまう。ただ、一つ本の選び方ということだけでなく、新しい考え方をもたらしてくれたことに感謝している。