汲めども尽きぬ知恵の泉

「武器はこの身ひとつ」を目指して

【書評27】『乱読のセレンディピティ』外山滋比古|日常に効く薬のような話

セレンディピティ

思いがけないことを発見する能力。

 

  • 今の時代本はあふれるようにあるから、良書にはなかなかたどり着けない。
  • あと、ゆっくり読むことを良しとされてきたが、それでは殺してしまうものがあり、逆に案外つかめることも多いよ。

 

タイトルはこれで解決です。

 

なので記事の内容はあんまり読書法的なことは書いてないです。

 

 

 

もらった薬は効かない

本の著者は、ある時を境に出版した本を寄贈するのをやめたそうだ。

知人、友人にも送らないといいます。

 

確かに受け取った側としては、「読まなきゃいけない」

という気持ちになって急に億劫だし、お礼の手紙も出さなきゃいけない。

 

こんな話から始まり、

「書いた人間の顔がチラチラするのは本当の読書じゃない」

という一種の名言を言っています。

近しい人の心を揺さぶるのは容易でないということだそうです。

 

また、「本はもらうものではなく買うものだ

とも言っています。もらったものはありがたくない。借りるものでもないと。

 

これについては私も大賛成で、たとえば

 

  • 借りている場合、返却期限が締め付けとなる
  • もらったものだと、身銭を切ってないのではりきれない
  • 図書館でいっぱい借りてみるが、なぜか読む気にならない

などという経験がある人もいると思う。

 

また、これについては大の読書家でマイクロソフト元社長の

成毛眞さんも、同じようなことを述べている。

「本は買え!貸し借りはするな!」と。

【過去記事】本は10冊同時に読め!

 

自分の目で選んで、自分の金を出して買うという決心を通過した本は、

ずっと重い価値があり、真剣に読める。

買った以上、読む義務のようなものが生じやすい。

(つまらなかったら躊躇なく放り出せ、とも言っているが)

 

借りるもの、もらうものというのは他力本願で、

おすすめされたものというのはどうも身に入ってこないのでしょうか。

 

 

https://www.pakutaso.com/shared/img/thumb/KAZ19112C072_TP_V.jpg

 

禁書目録

 

カトリック教会は、昔から毎年、信者が読んではいけない本のリスト、

禁書目録」を公表している。

 

信仰上望ましくない思想を含んでいるとか、

信者にとって有害と考えられたものをあげていく。

 

それにしたがって読むのを控える人が増えればいいけれど、

もちろん大勢いるだろうけど、逆にこの目録によって禁書になると、

それまでなんとも思っていなかった本が急に魅力的になり

こっそり読む「不届きもの」がいっぱいいるらしい。

 

あとこれは、禁書になんかして名前を出すもんだから、

これまで存在すら知らなかったのに知ってしまった、

という人もいるだろう。

 

信徒でない人も、カトリック自体に興味は持たなくても、

禁書を公表すると、そういう本に興味を持ったりする。

 

つまりカトリック教会は、禁書という形でそれを推薦していることになり、

一般に向かって「面白い本」「影響力のある本」を宣伝していることになる。

 

人間の性格的にも、おすすめされるより禁止されるほうが

何かをしたくなるに決まっている。

 

ここから、若者の読書離れについて話を持って行っている。

近年いろいろなところから読書をする人が減ったと懸念されている。

「もっと読もう」みたいなキャンペーンをしたところで、逆効果だ。

 

いくら素晴らしい食べ物が目の前にあっても、おなか一杯であれば

手を出す気にならない。

 

貧国の子供が勉強を欲するのは、環境がないからで、

昔の人々が、食費を削ってまで本を買ったのは、貴重だったからだ。

鎖国中海外の本を皆がほしがったのは、それが禁止されたからである。

 

このように、「ありがたみ」や、それに対する「飢え

のようなものがあってこそ、ひとは対象に興味を抱き、

熱中できる。

 

特に「禁止」されるものには、神秘がある。

想像力を膨らませるものがあります

 

子供のころ、禁止された夜のテレビ番組。

「どんなことがやっているんだろう?その先には何が待っているのだろう?」

 

飢えれば飢えるほど、欲すれば欲するほど、

それを思う時間が長ければ長いほど、魅了される。

 

義務感、押し付けられている感はやはり良くない。

 

何かやりたい、続けたいけどできないということがある人は、

時間が有り余っているからか、自由の身だからかもしれない。

 

恋人を作って、24時間とはいかなくとも

ずっと一緒にいて拘束されれば、

「ああ、本読みたい」「ああ、やせなきゃ」

という思いが募り、スキマスキマでやるようになるかもしれない。

 

これ、どうでしょう。

 

悪書が良書を駆逐する

 

「面白い本」と「ためになる本」があれば、たいてい

面白い本が悪書、ためになる本は良書になる。

 

お金で、悪貨は良貨を駆逐するというのが有名である。

良貨価値がちゃんとあり大きいから、使うのはもったいない。

というわけで温存される。やがてだんだんと悪貨が出回る。

 

悪貨が強いのは、流通することだ

 

本の場合、人に理解されやすいもの、一見薄っぺらで

面白いと思われるものがよくでまわる。

 

https://www.pakutaso.com/shared/img/thumb/gunkanjimaFTHG4685.JPG

 

論語読みの論語知らず

特に昔の時代のことですが、文字の意味を理解していなくても、

読めればそれでよし、とする教育?というものがある。

 

読めるのと、理解することは別のことであり、

謎の風習は取り除かれたほうがいい。

こどもは、それをおかしいとも思えない。

 

僧侶の唱える読経は、ほとんど意味が分からない。

静かに聞いている人々みんな、意味が分からない。

でもなんだかありがたいと思う。

ありがたいものであるはずだ、意味は分からんけど。

 

これって結構怖い気がします。