汲めども尽きぬ知恵の泉

「武器はこの身ひとつ」を目指して

【書評26】『もの食う話』文春文庫|毎日行う「食べる」が豊かになる本【文豪たちの食のとらえ方、体験】

 

 

この本は、「食べる」ということをテーマの短編を集めたものだ。

永井荷風大岡昇平筒井康隆などの文豪たちがそれぞれの角度から

食に対してアプローチしている。

 

食べることは、性欲、好奇心に深く関係しているし、

神秘的な表現をする人もいれば、忌み嫌うものだという人もいる。

 

誰もが人生の中で幾度も体験し、切っても切れない「食べる」という行為。

そして知能、理性を持った人間にとって、

時には必要であるから以上の意味をも持つ食。

 

気になった考察をあげていきます。

 

心に別の欲望があると、食欲が薄くなる(大岡昇平

彼は、戦時中の体験から、中年や老人の食意地の汚さを考察している。

そもそも、上の年代が戦争中の飢餓的な生活を

切り抜けてきたためということもあるという。

 

だがそれ以上に、青年たちの心には青春という心を大きく占める

別の欲望があるからだといっている。

 

中年にはすでにそれがない、あっても弱い。

彼らの注意がもう一つの重要な欲望である食欲に向かうのはこのためだ、と。

 

また、食欲が異常性を帯びていた友人と、ある少佐の話が出てくる。

彼らは、戦時中に驚くほど冷静であったという。

 

友人に関しては、敵襲かもしれないと周りが死におびえている中、

一人だけ砂糖をなめに行ったりとか、

甘納豆をポケットにしまいこむ余裕を見せたりという行動をしたという。

 

「学校に遅刻しそう、でもご飯は食べたい」レベルならまだしも、

彼らの状況下では本当に死の10分前かもしれないのだ

 

食い意地が張りすぎていると片づけてしまえばそうかもしれないが、

彼らは食欲によって一種の恐怖心や、そこからくるストレスから逃れられている。

 

食物に対する異常な関心が、暗い未来を考える余裕を与えず、

あの平静な態度を与えたと考えざるを得ない。

 

彼らは、職務に関しては人一倍忠実であったらしい。

少佐がマラリアが広まった分隊を慰めて回るときも、

心からの同情の響きがこもっていたという。

 

「そこには何ら形式的なものも、軍人風の空虚な激励もなかった」

「一般社会におけると同じ礼儀と思いやりがあった。」

 

戦時中からしたら、彼のような本来とるべき態度が異常なのだ。

 

一種の、食という一つ信じるところがあったため、

軍隊というシステムの考え方、周りからの押し付けに侵されなかったのかもしれない。

 

https://www.pakutaso.com/shared/img/thumb/togitsu83_TP_V.jpg

 

食は広州にあり(邱永漢

中国には、「おはよう」にあたる言葉はあるが、

「こんにちは」や、「こんばんは」はないらしい。

 

その代わりに、「吃了飯嗎?」(ご飯はお済ですか?)

という意味のあいさつをする。

 

一昔前、ろくにご飯が食べられなかったからという説がある。

しかし、真相は中国人が食べることばっかを

考えてきたからではないかといいます。

 

昔から中国で言い古されている言葉に、

「生在蘇州、衣在杭州、食在広州、死在柳州」というのがある。

注目するのは「食在広州」だ。

 

広州(広東省の首都広州)では食べ物の種類が多いだけでなく、

それらが皆おいしいというところから始まっています。

 

世界でこの土地ほど食べ物の種類があるところはないという。

猫、犬、蛇、鼠からげんごろう虫まで、人間の口に入れて害のないものは

ことごとく食膳に供される

 

蛇は、とくにホルモン的効果を狙ったものが多く、

昔の、美女を多く抱える偉い人がコックに作らせたのが

ある蛇料理の始まりだという。

 

ハブとかがよく精力剤に使われていますが、

発見したのは中国ですね。

 

また、げんごろう虫は場所によってはみんなポリポリと

食べているという。

 

絶世の美女がげんごろう虫を食べていたら、キスと拒絶のどちらを選ぶだろう。

 

ありとあらゆるものを食べるということに関しては、

経験値となっていいと思う。ものの見方が変わりそうだ。

 

今までペットとして、害虫として見ていたものがそうでなくなる。

国による考え方の違いは食べ物からきているかもしれない。

 

美食とは?澁澤龍彦(しぶさわたつひこ)

美食学、エロティシズム。

これらは、必要を快楽に変えるための技術(学問)である

 

人間だれしも食べるが、ただ胃袋の必要を満たすために

食べていたら動物と変わらず、美食とは何の関係もない。

 

ただ性的欲望を満たすために交わるのもそう。

エロティシズムが成立するためには想像力が関与しなければならないし、

反省的機能が働かなくてはいけない。美食においてもそうだ。

 

それらは、文明が成熟してくると極端を目指すようになり、

奇怪な道を行くこともある。

 

 

https://www.pakutaso.com/shared/img/thumb/miuFTHG2178_TP_V.jpg

 

感想 

このほかにも、食人種の話や、ビスケットの話、よく食べる女の話など

とにかくいろいろな角度から食が語られる。

 

今の時代、お金を出せば古今東西、どこの食べ物に出会うことができる。

少なくとも、極度に食べることに困るということはなりえないような時代だ。

 

昔はそうでない時期があったし、状況も多かった。

だから「食べる」ことに対して特別のありがたみや、神秘を感じ取った。

真摯に向き合っていたといえるだろう。

 

それがいいというわけでもないし、別にご飯に困りたくもない。

でも、毎日行う「食べる」という行為を、無為に過ごすのは

もったいないと思った。

 

何か一つでも意味が増えていってほしい。

 

 

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

もの食う話 (文春文庫) [ 文藝春秋 ]
価格:604円(税込、送料無料) (2019/5/13時点)